CLT活用事例~子供たちの笑顔が未来を照らす気仙小学校
CLT活用事例~子供たちの笑顔が未来を照らす気仙小学校
2024/03/30
気仙小学校は、東日本大震災により全壊した気仙町において、復興の象徴として輝いています。旧気仙小と長部小が統合され、新たな校舎が誕生。その木造2階建ての校舎は、地域の活性化を図る「風のホール」として地域住民との協力で生まれ変わりました。CLTを活用したこの校舎は、地域の文化や活性化に寄与し、未来を担う子供たちの笑顔と共に地域の希望を照らしています。
一本松で親しまれる陸前高田市とは?
陸前高田市は、一本松で有名な東北地方の岩手県に位置する都市です。この街は、歴史的な震災の記憶が刻まれる場所でもありますが、地域の温かい人々や美しい自然など、魅力溢れる要素が多く詰まった街です。
◇ノーマライゼーションという言葉のいらないまち
陸前高田市は岩手県の東南端に位置し、比較的温暖な気候で知られています。陸前高田市は、障害の有無や年齢、地域の出身に関係なく、すべての人が快適に過ごせるまちづくりに力を注いでいます。
その魅力は、リアス式海岸から始まり、多彩な海岸風景や山岳地帯、釣りやハイキングが楽しめる自然が満ちています。さらに、平泉・中尊寺の歴史的価値や金山、名水20選に選ばれた湧き水など、自然が生み出す名所が豊富です。地理的にも恵まれ、比較的温暖な気候が市民の生活を支えています。
震災からの教訓を活かし、全ての市民が笑顔で暮らせる共生社会を築くため、「ノーマライゼーション」という言葉を使わずに、誰もが自然な形で共存できる社会を目指しています。
◇奇跡の一本松
陸前高田市は震災の記憶が刻まれる地域で、特に高田松原は昔から植林され、約7万本の松が生い茂っていました。しかし、東日本大震災の津波でほとんどの木が倒れ、その中で1本だけが奇跡的に生き残りました。
それが「奇跡の一本松」です。しかし、津波の影響で後に枯れ、同じ形で立て直され、今もなお、津波の猛威を物語るモニュメントとして保存されています。
陸前高田の復興はどのようになっている?
陸前高田の復興は、東日本大震災の甚大な被害を受けた後、地域の結束と努力によって進行しています。地域住民や支援団体、行政の協力によって、復興が着実に進展しており、未来への希望と活力を取り戻しつつあります。
◇被害状況
陸前高田市は、東日本大震災により震度6弱を記録し、甚大な津波被害を受けました。津波被害では、8,000世帯以上が被災し、ほとんどの世帯が全壊しています。公共施設も市庁舎や中央公民館、図書館などが大きな被害を受け、海岸防潮堤にも被害が及びました。
このような壊滅的な被害により、市民生活や基盤施設に大きな影響が及び、復興には長い時間が必要とされました。
◇かさ上げ工事
陸前高田市の復興において、大規模なかさ上げ工事が重要な一環となっています。かさ上げ工事とは、津波や冠水による床上浸水被害を防ぐために、既存の住宅をジャッキ等で持ち上げ、基礎や1階部分を高くすることです。津波被害が顕著な陸前高田市では、地震による被害以上に津波の影響が深刻であり、地形によってかさ上げの高さが異なります。
最大で10メートルほどのかさ上げが行われており、他の被災地域と比較しても大規模な工事が必要です。このかさ上げ工事は、復興に時間がかかる一方で、津波被害を軽減し、将来の災害に備えたまちづくりを目指して進行しています。
◇住宅再建
陸前高田市の復興では、住宅再建が最優先事項とされています。被災者の安全な居住環境を確保し、まちの再生を進めるために、様々な取り組みが行われています。災害復興公営住宅等整備事業では、895戸の建設が完了し、被災市街地復興土地区画整理事業では、高台の宅地が整備されました。
防災集団移転促進事業においても、28団地の造成工事が完了し、住宅再建が進行中です。これらの取り組みにより、被災者の生活再建やまちの復興が着実に進んでいます。
◇食産業
その他にも、食産業が復興において重要な役割を果たしています。水産業では、津波で浸水した気仙町の長部地区に水産加工業者が集まる工業団地が形成され、県内外から11社が新たに進出しました。これにより、原材料の調達から生産まで一貫した体制が築かれています。
農業分野では、復興のシンボルとなる新品種「たかたのゆめ」の栽培が開始され、作付面積は順調に増加しています。これらの取り組みにより、陸前高田市の食産業が再生し、地域経済の活性化に寄与しています。
復興を象徴となった気仙小学校
気仙小学校は、東日本大震災後の復興を象徴する存在であり、地域社会において特別な役割を果たしています。この学校は、復興の象徴に加えて、地域の未来を担う子供たちの成長と笑顔が、地域全体の希望となっています。
◇概要
気仙小学校は、東日本大震災によって全壊した気仙町において、復興の象徴となった学校です。震災前は気仙小と長部小の2つの小学校が存在していましたが、震災により気仙小が全壊しました。その後、長部小を間借りし、両校の児童が合同学習を行っていました。
しかし、復興構想に基づき、両校は統合され、新生気仙小として25年に開校しました。新しい校舎は木造2階建てであり、切妻屋根が特徴的です。この校舎は開放的であり、安らぎや居心地の良さを演出しています。気仙小学校は、地域の復興と共に生まれ変わった学びの場として、地域にとって重要な存在となっています。
◇地域で活用される「風のホール」
CLTが使用された活用事例として、「風のホール」とも呼ばれる気仙小学校があります。この学校は、地域住民との緊密な協力のもと、設計段階では積極的な意見交換が行われました。
綾井代表は、「こちらが思いもよらなかった魅力的なデザインが、地域の方から提案されたことを、非常にうれしく思う。住民の皆様がデザインを高めてくださった学校」と述べ、地域の協力に感謝を表明しています。(出典: 参考文献)。
地域住民の方からは、風のホールがコミュニティの中心として期待されています。そして、この学校では校舎内にティンバラムのCLTが使用されており、地域の活性化や文化の発展に向けて高い関心が寄せられています。
[出典: 参考文献] https://tohkaishimpo.com/2017/09/27/176491/
子供たちの笑顔が未来を照らす新校舎
子供たちの笑顔が未来を照らす新校舎は、気仙町にとって復興の象徴となり、地域全体に誇りをもたらしています。子供たちが笑顔で活動し成長する様子は、地域に希望と活力を与えています。
◇避難所としても利用された旧校舎
新しい校舎が建設される一方で、津波によって全壊した旧校舎は、その後も重要な役割を果たしました。震災後、旧校舎は被災者の避難所として利用され、多くの人々の命を守りました。校庭には応急仮設住宅が立ち並び、被災者の生活を支えた存在です。このように、新旧の校舎は震災後の地域の中心的存在となり、被災者の支援や生活再建に貢献しています。
◇復興の象徴となった新校舎
復興の象徴となった新校舎は、地域代表や児童会長からの感謝と期待に満ちた声で溢れています。地域代表は、「たくさんの思い出をつくった場所。校舎に大感謝と『お疲れさまでした』という思いを改めて伝えたい」と述べ、新しい校舎でも同じように勉強やスポーツに取り組むよう呼びかけました(出典: 参考文献)。
児童会長も笑顔で、「入学したときのドキドキ、ワクワクした気持ちを今でも覚えている。今年は校舎で運動会やマラソン大会ができ、とても思い出に残っている」と述べ、新校舎での活動に喜びを示しました(出典: 参考文献)。震災で壊滅的な被害を受けたこの学校は、復興の喜びと期待に満ちた新たな学びの場となっています。
[出典: 参考文献]https://tohkaishimpo.com/2018/12/26/233363/
陸前高田市は、東日本大震災の記憶が刻まれる岩手県の都市であり、一本松で知られています。この街は、温かい地域住民や美しい自然があり、全ての人が快適に過ごせるまちづくりに力を注いでいます。
震災からの復興では、被害状況を踏まえた大規模なかさ上げ工事や住宅再建が進行し、食産業も地域経済の再生に貢献しています。
気仙小学校は、東日本大震災後の復興の象徴として、地域社会において特別な役割を果たしています。震災により全壊した校舎は、統合を経て新生気仙小学校として生まれ変わり、開放的で居心地の良い校舎が建設されました。
この新校舎は地域の協力によって設計され、地域の活性化と文化の発展に寄与しています。子供たちの笑顔が未来を照らす一方で、津波で被災した旧校舎は避難所としても利用され、地域の中心的存在として貢献しました。新校舎は地域代表や児童会長から感謝と期待の声を受け、復興の喜びと希望に満ちた学びの場となっています。